参考までに上に紹介した『懸合状』の現代語にした要約を掲載します。
 当月25日、願慶寺で蓮如上人御忌と、先住25回忌法会が行われたとき、瀬戸村から同行28名が参詣した。
 その帰りに境内において吉野村の若者が、当村の女たちに悪懸りをし、なかには小便桶のところへ倒れたものもいた。付き添いの仁右衛門の忰の仁三郎がとめに入ったが、却って悪口を言われ、擲(なぐ)られたりした。
 女たちは驚いて逃げようとしたが引き戻された。村人も中に入ったが聞き入れず、「能美郡の者だ」とか「瀬戸村の者だから打殺してしまえ」などといわれた。
 孫兵衛の忰孫作が吉野村の知人を通して、命だけは助けてと詫びたり頼んだりした。ところが酒を買って来いというような難題をいわれたが、そこを何とかかんとかいって、ほうぼうの体で逃げ帰ってきた。
 しかし、右の仁三郎は、擲られたため体が痛み、食事も困難になったので、このままにしておくわけにはいかず、牛首村の役場へ届け出た。役場ではいずれ取調べはするが、「若者というのは、往々にして酔っ払って無茶なことをすることもあるから、いまは表向きにせず、瀬戸村の役人として先方に懸け合い、その返事次第でどうするか考える」とのことであった。」
 よって今後かかることがないよう、村の若者どもによく意見し、その始末を当月29日までに返事をして欲しい。
       三月二十七日
                               瀬戸村役人
  吉野村肝煎中様