〜熊騒動〜 |
何にも悪いことをしてないくまさんなんだけど・・・・!? |
【明石市西林寺さんの『寺報』に掲載していただいた法話です。】 |
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今年ほど天災の多い年は近年無かったのではないかと思うほど、洪水・台風・地震と災害の相次いだ一年でありました。わけても新潟の地震は、これから冬将軍の当来ととともに降り出す雪のことを思うと、同じ豪雪地帯に住むものとして、心配しないわけにはいかないことです。
そんな中、私の住む石川県は、同じ北陸なので遠方の方にはすぐ近くに思われるらしく、よく「地震はどうでした」と聞かれるのですが、大した揺れも無く、また台風や洪水の被害も皆無で、本当にこれでよいのだろうかと思われるほど、恵まれたことでありました。
で、何も無いままで終わるのかと思った矢先、「風が吹けば桶屋が儲かる」式に、突然我が家にも災難がふってわいてきたのでありました。
といっても、天災といってよいのやら悪いのやら。これを天災といったのでは、今年のほかの被災地の方々には申し訳ないことなのですが、遠くの大災難より目先の小災難についつい目が向くのが凡夫の性。何が災難かと申せば、我が家の庭先に毎晩出るんですわ、あれが・・・。
といっても、幽霊の類ではございません。れっきとした哺乳類であります。
今までも、猿はでるわ、カモシカは出るは、ハクビシンはでるわで、ちょっとした動物園状態ではあったのですが、今回はそんなのんびりしたことは言ってられないのであります。大きな熊が毎日入れ替わり立ち代り、本堂の前の大きな銀杏の木にやってくるようになったのであります。それを毎晩窓から家族揃って観察するという、まさに我が家は冗談抜きにサファリパーク状態になってしまったのであります。
そもそも北陸では数年前から中国からやってきた新種のカミキリムシのせいで、水楢の木が軒並み立ち枯れをしてしまったのであります。
「あんなに枯れて大丈夫かな」と、私は常々洪水や土砂崩れの心配をしておったのですが、思わぬところに影響が出てしまったものです。そうです、水楢の実(どんぐり)は、熊さんの大切な食料であったのです。
思えば水楢の木が枯れだした数年前から、家の後にある大きな栗の木の実が何者かにすっかりと食べられ、一つも下に落ちてこないようになりました。それも食い散らかすのではなく、きれいに皮をはいで、美しく食べてあるのです。「きっとリスか何かが来てるのだろう」と思っていたのですが、木に登ってきれいに皮をはいで実だけを食べる動物は、実は熊さんだったのであります。
その熊さんが、今年は台風等の強風の影響もあって、早々と栗の実を食いつくし、とうとう本堂正面の銀杏の木に出没することとなったのでありました。
それでなくとも連日熊の出没がニュースとなり、「山の中のうちのお寺などいつ熊が出てもおかしくないね」などと言いながらも、いや、実際に目の前で野生の熊を見ると、「いやー、でかい!」と思わず叫んでしまいました。
なにせ直径一メートルは裕にある銀杏の木の天辺にまでするすると登り、ぐらぐらとまるで小木をゆするかのように木をゆすって、軽々と直径20センチはあろうかという枝を折って、チュパチュパ音を立てて、まるでぶどうの実をすするように、銀杏の果肉を食べてゆうゆうと帰っていくのですから。
テレビで町のほうで駆除されてしまった熊の姿が映されておりましたが、彼らの殆どはまだ親離れして間もない小型で丸みを帯びた熊がほとんどでしたが、我が家へやってくる一番おきな熊は、それこそマウンテンゴリラの後姿のようにすらりと伸びた背中に、お尻にかけて筋肉が隆々として盛り上がり、美しい毛並みとともに、恐怖も感ずる反面、うっとりとさえ見とれる美しい熊でした。
さて、そんなわけで毎晩熊が境内を歩き回るようになって、すっかりと生活が変わりました。というのも、熊は臆病で神経質な動物で、決して自分から人間を襲ったりはしないのですが、二・三の例外があるのです。
それは、ひとつは子連れの熊で、ふたつは手負いの熊であるといわれております。そして三つ目は【窮鼠猫を噛む】時なのだそうです。あの大きな熊が・・・と思われるかもしれませんが、熊は臆病なため、人間に出会うと恐怖心から何がなんだか分からなくなってしまうんだそうです。ですから、普通熊は、人間の声が聞こえたり、気配を察しただけで、すぐに向こうから逃げてしまいます。したがって、熊に対する一番の予防は、絶えず大声で話したり、歌ったり、あるいは鈴などの人間の気配を知らせる楽器などを持ち歩くことなのですが、唯一食事中は、食べることに熱中するあまり、まわりに気を配ることを忘れてしまい、たまたま「はっ」と気がついた時に近くに人間がいたりしようものなら、幽霊に出遇った女の子の如く恐怖で頭が真っ白になって、無我夢中で手足を振り回してパニックに陥ってしまうのだそうです。
そうです。熊が人を襲うのではなく、恐怖のあまりパニックに陥った熊が振り回した手や足が人間に当たってしまうだけなのですが、人間にとってはそれが笑い事ですまないのであります。命を落としかねない致命傷となったり、うまくいっても一生傷跡が残ってしまう大怪我となってしまうのです。いわんや噛み付かれでもしようものなら・・・。
また、熊は極度の近視でもあるそうで、夜になると、人間のほうには見えていても熊には人間の姿が見えておらず、それこそすぐ近くで鉢合わせたりしたら、これまた熊の方がパニックになってしまうということで、とても危険なのであります。
そうすると我が家の熊は、「夜間」「食事中」という危険アイテムが揃っていることになります。したがって、少しぐらいの大声や鈴の音程度では、食事に熱中している熊が逃げてくれているかどうかわからず、夜に外に出るたびにそれこそ何度も外を見まわしては、大声を出し、そして玄関前に横付けた車に一目散に飛び乗り・・・といった生活がしばらく続いたことであります。
さて、こうなると、横でヒステリックに「何とかして!」叫ぶ妻はさておいても、はたと困ってしまいました。そもそも私は、今年各地で頻繁に行われた熊の駆除に反対の立場であったのです。
民家に押し入った熊はともかく、「山菜取りに行ったら、熊を目撃したので、山狩りを行って、発見された親子連れの熊を二頭駆除した」なんてニュースを聞いては、「山に熊がいるのは当たり前じゃないか。そもそも熊の縄張りに人間の方がのこのこ入っていって、《熊の縄張りに熊がいた》と熊を駆除する方が本末顛倒だ。熊の縄張りに入る人間の方が、自己責任で警戒すべきであって、何の落度も無いのに駆除される熊の方こそ被害者だ」と、公言してはばからなかったのが、他ならぬ私でございました。
ところが、自分の家の庭先に熊が出るとなると、そうも言っておられぬようになるのです。これには本当に困ってしまいました。自分や家族は自己責任で警戒するとしても、このまま放っておいて、境内地で参詣者や近所の方で被害に逢う方が出ないとも限らないし、かといって、寺の境内で熊を射殺するなんてとんでもないことだし・・・。何よりも、もうじき報恩講だ。「吉野の寺に熊が出る」なんてうわさが広まって、誰も参詣に来なかったらどうしよう。その風評被害の方がよっぽど恐ろしい!
私の心の中では、管理責任≠とるか"世間体≠取るかの天秤がいったりきたりするばかりで、毛頭結論が出てきません。あとから考えてみれば、こんな時でも結局自分の都合しか考えていない私でありました。
とりあえず自然保護センターへ相談してみましたところ、いずれにせよ夜間は、『発砲許可証』という書類に現地で担当の役人が直接必要性を確認して、その場で印を押してからでないと発砲できないということに法律で決められているということでした。さすが外国が攻めてきても、閣議決定が下りるまでは、反撃してはならないという自衛隊を持つ国だなと妙に納得してしまいましたが、とりあえず熊を殺したくない私としては、一安心でありました。
アドバイスをいただくと、要は「熊には何の悪意も無く、ただお腹がすいて餌を食べに来ているだけなので、餌が取れなくなれば、熊はやってこない」という至極当たり前の答えでした。
柿や栗なら実をすべて取ってしまえば良いし、銀杏の木のようにそれが出来ない場合は、熊が登れないようにトタン板のような鉄板で、高さ三メートルくらいのところまで木の幹を覆ってしまえば良いということでした。あと念を入れるならば、犬を二・三匹付近に放しておけば、完璧だということでした。
そうこうしておる間に石川県では、七百頭前後といわれる生存数に対し、何と百六十頭近くの熊が駆除されてしまいました。なんと、四頭余に一頭が駆除されてしまったのです。 アフガンでもファルージャでも四人に一人が殺されたなんてところはありません。これではヒトラーをも超える大虐殺ではないですか。
一番恐ろしいのは
やはり人間ですと
この北国からの
渡り鳥がいいました
という、榎本栄一さんの詩を思い出しました。
実は石川県では、未だ熊に襲われて怪我をした人が一人もいないのです。にも関わらず、四頭に一頭の熊が殺されてしまったのです。たまたま隣の富山県で、熊に出逢って襲われた事件が数件続いたことに過剰に反応してしまったのです。人間の方がちょっと警戒したり防衛措置を講ずればすんだ話なのです。それなのにただ人里に迷い出たという理由だけで次々と駆除されていったのです。多くは、未だ親離れしたばかりの経験の浅い若い熊たちでした。
それを知りながらも、やはり現実に自分の家に熊が現れると、一瞬とはいえ駆除の可能性を考えてしまった私でした。「罪悪深重」とは、ひとごとでない今の我が身のことでしたと、うなづかずにはおられないこの一年でありました。
結局私は、総代さんたちに鉄板を巻いてもらうことにしましたが、総代さんたちも忙しく4・5日あとになるということでした。その間何もしないで放っておくというわけにも行かないので、どうしようかと物置を探しましたところ、大きなダンボールの箱を見つけました。ダメ元で、鉄板の代わりにこれでも巻いておこうと早速木に巻きつけましたが、どうもしっくり参りません。
ふと、思いついて筆とすずりを持ち出しましてこう書きました。
『熊さんへ
食べても下痢するだけなので
この木に登らないで下さい 住職』
「一体誰に見せるために書いたの」と、後ろで見ていた娘に聞かれました。
「もちろん、熊さんにだよ」と真顔で答えると、
「クマが字を読めるはずが無い!」と娘。
「そうだね。夜だから暗くて読めないかもね。電気でもつけておくか」と私が答えると、
「そうじゃなくてー・・・」と、困惑する娘を尻目に私は作業を終えました。
で、その晩に熊は来なかったかというと、やっぱり来て行きました。(^^ゞ
・・・ところが、その翌日からばたっと来なくなったのであります。
「電気をつけてたから、ちゃんと字が読めたんだね」と、とぼける私をあきらめ顔で見る娘たちでありました。
ヒステリックに「すぐに猟師さんに電話して!」と叫んでいた妻も、その横であきれながら一緒に笑っておりました。
そうこうするうちに、鉄板も巻いてもらえました。
「災難に逢うときには、災難に逢うがよく候ふ。これはこれ災難よけの妙法なり」
二百年前の新潟での地震に際して、良寛さんが信者に送った『災難よけの妙法』だそうです。
南無阿弥陀仏